店名Qalb al Asadの由来
当店の店名はアラビア語でlion heartを意味する( الأس القلبد)すなわちqalb al asadからとられています。これは獅子座の一等星レグルスの別名でもあります。中世のヨーロッパではイタリアのシチリア島やスペインのコルドバなどからイスラムの科学が入って来ました。代数学を意味するalgebraや化学を意味するchemistryなどはこの頃にアラビア語から借用された用語です。天文学においても、それぞれの星座にある星の名前にはアラビア語が用いられています。
さてqalb al asadですが、ヨーロッパに入ると元のアラビア語より発音しやすくなるようにkabelacedと呼ばれるようにもなりました。また、当時のヨーロッパで学問に使われていたラテン語に訳されcor leonisとも呼ばれるようになりました。16世紀の天文学者ニコラス・コペルニクスがRegulusと名付けてから、現在のように呼ばれるようになりました。これはラテン語で「小さい王」を意味します。
レグルスは獅子座でライオンの心臓に当たる場所に存在します。古代バビロニアおよびエジプトで、この星が黄道上にある夏に川の氾濫がもたらされて農作物の豊かな実りを約束してくれました。よってレグルスは王権の象徴でもありました。古代において中東にもギリシアにも生息していたライオンが、いずれの文化圏でもここの星座に当てはめられました。
当店の猛獣骨格とミリタリー・グッズには、この「王の星」の名を当てています。ショップの方もよろしくお願いいたします。
迷彩服の歴史
今日の軍隊、特に陸軍や海兵隊といった地上軍では迷彩色をほどこした戦闘服が用いられます。しかし迷彩服が広く戦闘に用いられるようになったのは近代に入ってからです。古代から中世にかけては世界のどこでも金属や皮革を用いた甲冑が用いられ、戦士達は自らを誇示するかのように派手な衣装や飾りを付けることもありました。近代に入って銃器が発達すると甲冑は廃れてゆきましたが、兵士達は派手な色彩の制服で戦闘に従事しました。これは近接戦および射程距離の短い銃撃戦では敵味方の識別をはっきりさせる必要があるという実用性にも基づいています。
しかしながら銃の射程距離が長くなってくると目立つ色のは敵兵に狙われやすくなります。18世紀に従来の2倍となる200ヤードを射程範囲に収めるベイカー銃が用いられるようになると、英仏間の七年戦争(1756~1763年)で英領アメリカ植民地を防衛したロジャーズ・レンジャーズが緑色の戦闘服で森林に潜んでライフル狙撃を行なうようになりました。ちょうどロビン・フッドの森の仲間達が緑の服でシャーウッドの森にまぎれたように。それでも緑の戦闘服はライフル兵に限られ、まだ兵士を周囲の風景に溶け込ませることは広まりませんでした。
現代のような周囲の背景にまぎれる戦闘服、1848年にイギリスのインド駐留兵がカーキ色の戦闘服を採用したのが始まりです。これはインドからアフガニスタンの乾燥した埃の舞いやすい土地柄に合わせたものです。しかし19世紀には欧米列強が射程距離の長いライフル銃で武装した兵と対戦することはほとんどありませんでした。自然環境にまぎれる戦闘服が普及する契機となったのは第一次ボーア戦争(1880~1881年)および第二次ボーア戦争(1902年)です。当時、大英帝国は南アフリカのダイアモンドや金を求めてボーア人(アフリカーナ)の領地を併合しようとしていました。故国オランダから南アフリカにやって来て自分達の国を建国していたボーア人達はイギリスに激しく抵抗しました。これまでのような貧弱な武装しかしていないアジア人およびアフリカ人とは比べものにならないほど手強い相手と戦ったイギリス軍は、カーキ色の戦闘服を基準とするようになりました。
その後、アメリカ、ドイツなども続いて自然環境にまぎれる戦闘服を使用するようになりました。第一次世界大戦を経て戦闘服は単色のカーキ色から多数の色彩をほどこした迷彩服が使用されるようになります。現在ではデジタル光彩を利用して迷彩服は進化しています。戦闘様式の近代化に伴い、迷彩服にはますます高度な技術が適用されるようになります。
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ロシアとイランでトラとヒョウの交換
現在、ロシアに生息するシベリアトラとイランに生息するペルシアヒョウを交換して野生に戻そうという話が進んでいます。どういうことかと言うと、ロシア極東地域に住むシベリアトラが、カフカス山脈からカスピ海南岸、アフガニスタン北部、中央アジアにかけて生息していたカスピトラの遺伝子がほとんど同じである。一方でロシアではカフカス地方から黒海方面に生息していたペルシアヒョウが絶滅している。そこで両者を交換して野生に復帰させようというものです。
先のソチ冬季オリンピックでプーチン大統領がメディアの前でヒョウの子を抱いていたのはよく知られています。問題はシベリアトラとカスピトラは全く同一なのかということです。かつてはモンゴル北西部のアルタイ山脈周辺で中央アジア方面のカスピトラとバイカル湖方面のシベリアトラは互いに行き来していたと考えられています。しかし人類の進出で両者の生息域は分断されました。カスピトラは1950年代から70年代にイランで絶滅した一方、シベリアトラはロシアのアムール川流域を中心に中国の満州と北朝鮮にわずかに生き残っているに過ぎません。
つまり、これだけ生息環境も違ってくると、遺伝子はきわめて近くても両者が全く同一なのかという疑問は残ります。事実、カスピトラには細い縞が数多くあったとされていますが、シベリアトラの縞はそれほど細くもなく、数も多くありません。下の画像で両者の尾を示しましたが、左のカスピトラと右のシベリアトラは違います。
イランのシャヒド・ベヘシュティ大学のバーラム・キアビ教授は、シベリアトラとカスピ(ペルシア)トラの遺伝子は非常に近いが全く同じではないと答えています(”Russia, Iran Big Cat Swap Raises Questions”; Environment News Service; May 24, 2010)。いずれにせよシベリアとイランでは気候が違いすぎます。イラン北部のカスピ海沿岸に再導入する計画だそうですが、そこでもアムール川流域よりは温暖になります。また獲物を捕食しなければ生きられないので、大型肉食獣の野性化は非常に難しいです。悪くすると再導入されたトラが家畜襲撃の常習犯にさえなりかねません。
絶滅した動物が戻ってくることは素晴らしいです。しかし、そうした動物がかつての生息地で再び生活するには多くの障害があります。
アメリカ陸軍のUCP戦闘服
当店で販売しているアメリカ陸軍のUCP戦闘服について。この服はアメリカ軍の写真で最もよく見かける戦闘服です。下の写真は2006年8月のバグダッドでの戦闘の場面です。これは市街戦ですが、砂漠のような色合いの家々に戦闘服が溶け込む様子がわかります。この時期はブッシュ政権による増派によって治安が回復する前で、イラク各地で激しい戦闘が繰り広げられていました。
さて、このUCPとはUniversal Camouflage Patternの略で、砂漠のみならず市街、森林、雪上、夜間とあらゆる環境に対応することを想定しています。下の写真は2006年5月にアフガニスタンの東部の山岳地帯にあるクナール州での戦闘の場面。岩山と遠くの森林への溶け込み具合はどうでしょうか?
この戦闘服は夜間の光反射まで考慮してデザインされましたが、アフガニスタンの実戦ではより砂漠の戦闘に向いたOCP(Operation Enduring Freedom Camouflage Pattern)が採用されるようになりました。今年の5月、今後はUCPに代わる別のデザインを採用すると陸軍は公表しています。最新技術の戦闘服ですが、その迷彩パターンも実戦を経て改良されつつあります。
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是非ともショップを覗いて下さい。よろしくお願いします。
猛獣骨格標本と軍事・歴史グッズの関係
当店では猛獣骨格標本と軍事・歴史グッズという取り合わせで商品販売をしています。一見、両者に関係はなさそうに思われるかも知れません。ところが歴史的には猛獣狩りは軍事訓練の一環でもありました。また猛獣を倒して王の力を見せつめるパフォーマンスもありました。
上の写真はアッシリアでのライオン狩りです。19世紀までライオンは中東からインドにかけて広く分布していました。聖書など昔の書物にはこの地域のライオンがよく登場します。従者たちが藪に潜むライオンを物音で追い出し、戦車に乗った王がそこに弓を射かけます。
次もアッシリアのレリーフで、王が素手でライオンの首を絞めている場面です。実際には頭に矢を射ぬかれていることでもわかるように、王は死ぬ直前のライオンの首を絞めています。元気なライオンを相手にすれば、どんな勇者でも一たまりもなくやられてしまうでしょう。そこまで弱ったライオンが相手であっても、わずかな油断で大けがを負いかねません。力を見せつける王も命がけです。
最後は少年時代のアレクサンダー大王によるライオン狩りです。1世紀頃までは、少数ながらヨーロッパにも住んでいました。ギリシアとペルシアの戦争では、ペルシア軍のラクダがマケドニアの山中でライオンに襲われたとの記録もあります。アレクサンダー大王もマケドニア山中のライオン狩りで軍事訓練をしていたと思われます。ただ、このモザイク画のように短剣でのライオン狩りはあり得ません。裸体なのは美術的な表現でしょう。それなりの武器と服装で望まないと、猛獣狩りはきわめて危険です。
日本でも大名達は鷹狩りで軍事訓練をしてきました。ライオンやトラは日本に生息していませんでしたが、ツキノワグマ、イノシシ、シカなど、それなりに大型の獲物は多く生息していました。当店の商品ライン・アップの二本柱には、そうした関連があります。