Qalb al Asad (カルブ・アル・アサード):猛獣骨格レプリカ&軍事・歴史関連商品のEショップ

当店のライオン、トラなどの骨格は博物館レベルの標本。ミリタリー関連は米英などから直輸入の本物志向。Qalb al Asadとはアラビア語でlion heartの意味。

迷彩服の歴史

今日の軍隊、特に陸軍や海兵隊といった地上軍では迷彩色をほどこした戦闘服が用いられます。しかし迷彩服が広く戦闘に用いられるようになったのは近代に入ってからです。古代から中世にかけては世界のどこでも金属や皮革を用いた甲冑が用いられ、戦士達は自らを誇示するかのように派手な衣装や飾りを付けることもありました。近代に入って銃器が発達すると甲冑は廃れてゆきましたが、兵士達は派手な色彩の制服で戦闘に従事しました。これは近接戦および射程距離の短い銃撃戦では敵味方の識別をはっきりさせる必要があるという実用性にも基づいています。

 

しかしながら銃の射程距離が長くなってくると目立つ色のは敵兵に狙われやすくなります。18世紀に従来の2倍となる200ヤードを射程範囲に収めるベイカー銃が用いられるようになると、英仏間の七年戦争(1756~1763年)で英領アメリカ植民地を防衛したロジャーズ・レンジャーズが緑色の戦闘服で森林に潜んでライフル狙撃を行なうようになりました。ちょうどロビン・フッドの森の仲間達が緑の服でシャーウッドの森にまぎれたように。それでも緑の戦闘服はライフル兵に限られ、まだ兵士を周囲の風景に溶け込ませることは広まりませんでした。

 

現代のような周囲の背景にまぎれる戦闘服、1848年にイギリスのインド駐留兵がカーキ色の戦闘服を採用したのが始まりです。これはインドからアフガニスタンの乾燥した埃の舞いやすい土地柄に合わせたものです。しかし19世紀には欧米列強が射程距離の長いライフル銃で武装した兵と対戦することはほとんどありませんでした。自然環境にまぎれる戦闘服が普及する契機となったのは第一次ボーア戦争(1880~1881年)および第二次ボーア戦争(1902年)です。当時、大英帝国南アフリカのダイアモンドや金を求めてボーア人(アフリカーナ)の領地を併合しようとしていました。故国オランダから南アフリカにやって来て自分達の国を建国していたボーア人達はイギリスに激しく抵抗しました。これまでのような貧弱な武装しかしていないアジア人およびアフリカ人とは比べものにならないほど手強い相手と戦ったイギリス軍は、カーキ色の戦闘服を基準とするようになりました。

 

その後、アメリカ、ドイツなども続いて自然環境にまぎれる戦闘服を使用するようになりました。第一次世界大戦を経て戦闘服は単色のカーキ色から多数の色彩をほどこした迷彩服が使用されるようになります。現在ではデジタル光彩を利用して迷彩服は進化しています。戦闘様式の近代化に伴い、迷彩服にはますます高度な技術が適用されるようになります。

 

 

 

当ショップのサイトはこちら

 

 


ミリタリー ブログランキングへ

 


戦史 ブログランキングへ

 

にほんブログ村 雑貨ブログ 輸入雑貨へ
にほんブログ村

 

にほんブログ村 その他趣味ブログ ミリタリーへ
にほんブログ村